2011年3月アーカイブ

川添氏の筆者への談。

「私がアメリカに赴任した昭和34年のころ、一番困ったのは、日産自動車とかダットサンとかいって説明しても、当時の米国東海岸では知名度がさっぱりなかったことです。

日産自動車の代理店をやりたい、という人がいても、銀行は日産自動車というメーカーのことをなにも知らないから、その店へ融資してくれません。

今の日産の中古トラックの知名度を考えると信じられない話です。

そこで本社に頼んで、横浜や吉原の工場の写真や、事業報告書を送ってもらい、それを翻訳して、日産自動車はこんなに立派な信用のある会社だ、ということを説明して歩きました。

また、日産自動車が戦前の昭和11年に、当時デトロイト市に本社のあった自動車メーカーのグラハム・ページ社の機械設備を買収して、日本でグラハムページ・セダンを製造したことや、戦後の27年には英国のオースチン社と技術提携してオースチン・ケンブリッジ・セダンを製造したことなどを話して、現地の人たちになるべく日産自動車に親しみを持ってもらうように努力しました」

「当時、米国に輸入されていた車の中では西独のフォルクスワーゲンが最も評判がよく、月に4万~5万台は売れていたのではないか、と思います。

それに比べ、日産のダットサンは私が担当した東部の35州を合わせても月40台からせいぜい50台くらいです。

西独の1000分の1という数字ですから全くお話になりません。

初めて月に100台売れた時は、家内が赤飯を炊いて家中で祝ってくれました。

うれしかったですね」

「今後の方針として、自動車からの排出ガスの規制については、

1.アイドリング時のCO規制を速やかに実施する。

2.HCの規制についてはNOとの関連において万遺漏なきを期し、米カリフォルニア州での轍を踏まぬよう更に基礎的研究を行う。

3.排気黒煙、煙臭など人の感覚に不快を与えるものは速やかに排除する。

以上の方策が当面効果的な具体策だが、自動車の無害化を更に進めるため、今回の調査では米国でもまだ実験の域を出ていないリアクターなどの研究についてもわれわれとしては積極的に取り組まねばならない。

一般的関心の深い大都市でのスモッグについては、オキシダントの測定法およびその内容について今後とも調査を進め、問題のホトケミカルスモッグの有否に関する調査を速やかに完成すべきであろう」

今はトラック中古車だって排ガス規制をクリアしていなければ走ることができません。

大分よくなったというべきでしょう。

川添氏の活躍について『アメリカ日産20年の軌跡』(J・B・レイ著、秋山康男訳、三嶺書房)にも次のように書かれている(大要)。

「彼(川添氏)はニューヨークのクィーンズ大通りのガソリンスタンドの裏にある小さな倉庫に販売本部を置き、10人足らずの人を雇った。

サービス・マネジャーもいなかったが、サービス問題がふえてくると川添氏の才能がすぐ役立った。

彼は(米国に)到着早々、ダットサンがガソリン洩れで地方のディーラーが直せなかったため、バージニア州ノーフォークへ行かねばならなかった時のことをこう述べている。

『ディーラーは、ダットサン1台を駐車できる修理場一つしか持っていない。

水力ジャッキはあるが工具は何もない。

私は修理場に1台のセダンを持ち込んで、工員はどこにいるのか聞いた。

業者がいうには"彼は昨日どこかへいって、工具もみんな持っていった"と。

日産のディーラーが一流ではないことは分ったが、こんなに悪いとは知らなかった』

ガソリンスタンドから工具を借りて修理はしたが、クランク・ハンドルはルノーのディーラーから借りた(ダットサンのスターターは動かなかった)。

川添氏は夜中まで働いていたが、その時やっと工具が戻ってきた。

そして彼は川添氏からダットサン整備の特訓を受けたのだった」

今の日本車は中古車トラックでも世界中で修理できます。

それはこういった地道な努力があったからなのですね。