そのため、一と六の日に市が立ちました。
人々は馬の背に商品をくくりつけて輸送し、ここを訪れました。
だから今も、一日市や六日市といった地名が残っているます。
「七つの谷それぞれ十里の奥から人や馬が集まってくる」ことを意味する"七七十里"、
その繁栄を活写する「出馬千頭入馬千頭」といった言葉も折に触れて語り継がれています。
また近代以前、京・大坂から船便で届いた文物は、三陸海岸で陸揚げされたのち、地方政府のある内陸部へ移送される必要がありました。
その中継点として重要な役割を果たしたのも遠野でした。
つまり遠野は、自ら米を自給しながら、盛岡・花巻など内陸と三陸海岸とを結ぶ交通の要衝に位置する"北上の商業センター"としての地位を確立するとともに、
"駄賃づけ"と呼ばれた輸送サービスと、それに不可欠な馬匹とを供給することによって繁栄したのである。
だから、交通路もこの盆地に集中した。
西が石川ぞいに花巻へ通じる街道をはじめ、北は立丸峠を経て宮古へ、東は笛吹峠か仙人峠を経て釜石へ、南は赤羽根峠を経て気仙沼へ通じる街道が、すでに近代以前に切りひらかれていました。
中古トラックなんかも配送しやすかったのかもしれませんね。